2010年03月19日

自由が保障され、努力すれば報われるという格差社会ほど良い社会はないのです。


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格差社会が是認されるには、ある程度、経済的にレベルアップした社会で

ある必要があるということです。

明日のご飯が食べられないという人が、たくさんいるような格差社会は、

まずないでしょう。


その意味で、格差社会を肯定すると言っても、どんな国でも、かくあるべし

と言っているわけではありません。

経済の発展レベルに応じた考え方が必要でしょう。


しかし、今の日本に関して言えば、「貧しい人もいる」 と言っても、

基本的に飢えて死ぬ人が、一定の割合でいる社会ではありません。

アジアやアフリカから見れば、堂々たる大金持ちです。


「衣食足りて礼節を知る」 と言うように、みんながある程度、人間として

の尊厳を保てるような社会になっているわけですから、格差社会の方が

望ましいレベルになっているのです。


何より格差があることで、自分が目指すべき方向、なりたい理想というもの

が分かるのです。

みんなが同じ生活をしていたら、豊かになるといっても、どう豊かになるの

かわかりません。


「あのようになりたい」 という理想像があるということは、ありがたい

ことです。

目に見える目標があるのは大切なことです。

目標があってこそ、人は努力します。


夢や希望のない人生ほどつまらない人生はありません。

たとえ貧乏な家に生まれても、ビル・ゲイツを見て、「いつか僕は、ああ

あるんだ」 と考えることができます。


格差社会だからこそ、夢や希望、生きがい、やりがいが生まれるのです。

格差がなければ、なりたい理想像すら描けません。

私には、それが良い社会だとは思えないのです。



 格差を認めることは、お金持ちの存在を認めることです。

 お金持ちを認めることで、慈善事業が広がります。

 お金持ちを認めることで、音楽や芸術などの文化が花開きます。

 お金持ちを認めることで、貧しくても才能ある人が努力することが

 できます。


文明・文化は、こうして生まれてくるのです。 



経済学の使命は、貧困の克服であり、そのために希少性の問題を解決しな

ければならないのですが、希少性の問題というのは、ある意味永遠に続き

ます。

人間は、常により良いものを目指すからです。


蒸気機関車ができても、電車をつくります。

電車ができても、新幹線をつくります。

新幹線が普及すると、今後はリニアを目指します。


昔の学生時代は、おにぎりを食べるだけで喜んでいたのに、牛丼が食べられ

るようになると、今度はすき焼きが食べたくなります。


しかし、それでこそ経済は発展するわけですから、これは決して否定しては

いけません。

「自分は牛丼なのに、あいつはすき焼きを食っている」 という言い方を

したら、発展もないし、何よりも精神的に貧しいと思います。


みんなが、そんな嫉妬心で物を言っている社会は、決して理想社会では

ありません。





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