2010年02月28日

社会還元ができれば、福祉政策はいらない

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国家予算の使い方などは、まさに効率と公正とをどう考えるかが、問われる

場面です。

税金は無駄には使えないという効率と、弱者に対する福祉という公正です。



この公正の実現が、じつは社会主義の呪縛を解く上で、非常に大事な視点

となってきます。


「貧しい人により多く与えたい」 という社会主義的な発想は、ある意味で

公正を重視した発想だと言えます。

この発想でつくられたのが福祉国家です。


これは一見、庶民や豊かではない人たちの生活が、保障されて楽になるよう

に感じますが、希少性の解決にはなっていません。


限られた資源を使って最大の成果を出すというという視点がないのです。


福祉国家とか社会主義国家の特徴は、財政問題を無視しているところです。

資源が無限にあるという前提で初めて成り立つ議論なのです。


しかし、資源は有限であるという現実から見ると、福祉国家は、論理的に

成り立ちません。

限られたものから最大の結果を出すという経済学の使命からすると、生き過

ぎた福祉国家は、考え自体が間違っているのです。


どこが間違っているかというと、1つは、希少性の問題を考えていないこと

です。

そして、もう1つが公正のとらえかたです。


福祉国家では、公正を実現するのは国家だという前提になっています。

しかし、よく考えてみると、国家でなければならない理由はどこにもない

のです。


公正というのは、ヨーロッパでは 「騎士道精神」 という言葉で言われて

きたことです。


日本でも、お大尽(江戸時代の金持ち)と呼ばれるような人が、村人たちに

正月になると、もちを配ったりする習慣がありました。


戦前は、篤志家(とくしか)〈慈善事業などを熱心に実行・支援する人〉

という言葉もありました。


お金を持った人たちは、自分の意思で所得分配をしていたのです。

ロックフェラーやカーネギーが、儲けた富のかなりの部分を社会還元した

ことは有名です。


現代では、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットも行っています。


公正というのは、要するに社会還元のことです。

この社会還元がきちんとできれば、福祉政策はいらないわけです。


もちろん国家として最低限のレベルは必要ですが、すべてを国家がおぎなう

ような福祉国家である必要はないのです。


本来、福祉政策は、民間の互助制度です。

それは騎士道精神によって行われます。


国家が福祉をやるという思想が広まるにつれて、豊かな人たちの間から

社会還元の精神が失われてしまったのです。


その結果、国家は希少性を無視した経済運営をするようになったり、

(財政赤字です)、民間は騎士道精神が失われて利己的になったりと、

ろくなことになっていないのです。


累進課税制度に代表される、お金もちに対する高い税負担制度も騎士道精神

が失われていった大きな原因です。





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